コラム

幻滅と犯人捜し

災害心理学者ラファエルは、
自然災害が襲ってきたとき、人々の心の動きは
「警戒期」
「衝撃期」
「ハネムーン期」
「幻滅期」
の4つの段階を経ていくとした。

地震のように予測ができない災害は、
「来るぞ、来るぞ」と警戒している時期がなく、
いきなり衝撃期から始まるといってよいだろう。

衝撃期が過ぎると、
救助活動あるいは相互の助け合いや、
外部からやってきたボランティアと地元被災者の人々のあいだで生まれる高揚した気分があり、
ハネムーン期がやってくる。

これはやがて過ぎて、殺伐とした時期が来る。
まだボランティアに頼む仕事は残っているにもかかわらず、
あちこちのボランティア・センターが閉鎖されるころ、
この次の段階が始まる。

失われたものの大きさがあらためて実感されてきて、
坦々粛々とやっていくしかない、砂を噛むような厳しい現実を認識する力が回復され、
幻滅期がやってくるのである。

これは被災地に限らない。
新しいエネルギー源を何にするかを含めて、
復興への道のりが遠いものであることは、
日本国中で感じられていることだろう。

「当然のようにそこにあったものが、なぜそこにないのか?」
そういった、やり場のない怒りやフラストレーションを、
幻滅期では多くの人が抱えるようになり、
そのはけ口を求めて犯人捜しが始まったり、
気が立って、あれこれの戦いを周囲にしかける人が出てきたりする。

そのわかりやすい例が、
いま政局をめぐってあちこち奔走している政治家たちの混乱である。

今回の災害は、
もちろん人為的なミスや不備も多かったようだが、
だからといって何でもかんでも犯人捜しで片がつく問題でもない。

被災者たちの生活をさておいて、
どさくさにまぎれて権力を奪取しようとする政治家たちの動きは、
はたから見ていて、
とてつもなく醜く、そして滑稽ですらある。

あたかも政権が変われば、失われたものがいっぺんに戻ってくるかのように息巻いている彼らは、
けっきょく天災を味方につけて自我の欲望を充たそうとしている人々に過ぎない。

マスメディアは、はじめはそれに気づいていたはずなのに、
政争が長引くにつれ、すっかりそのペースにのまれてしまっている感がある。

こういう瞬間にも、被災地では坦々粛々とがれきを撤去している人々がいることを忘れないようにしたい。