コラム

復旧 vs 復興、そして家族

復旧と復興は、同じようでまるで違う。
電気・ガス・水道などライフラインは「復旧」。
経済のようなナマモノは「復興」。

しかし、そんな簡単に分けられないものもある。

私たちJUSTが被災地支援をお手伝いさせている宮城県南三陸町周辺は、
古くから漁業が盛んだった。
その地域から届く海産物は、
日々、東京の食卓をにぎわしていたものだ。

これをただ元通りの状態へ戻そうとすれば「復旧」となる。
もっと強い競争力をつけさせようとすれば「復興」となる。

字づらだけを見ると「復興」のほうが盛り上がりそうだが、
そう簡単なものではない。

競争力をつけさせようと漁業特区を導入すれば、
大きな資本が県外や、ともすれば国外から入ってきて、
昔からその地方で漁業で営んでいた人々の
生活が立ちゆかなくなる恐れもある。

復旧か復興かを、容易に論じられないのは。
こころや家族にまつわる問題でもそうである。

……家族の中で息子がひきこもりで不登校になった。
それ以来、家族はなんとなく重苦しい空気が流れている。
これはいけない。
なんとかこの息子をゲームから引き離して、部屋から引きずり出して、
学校へ行かせなくてはならない。
学校へ送り出してさえしまえば、万々歳だ。……

そんな場合、その子が学校へ行くようになれば、
その家族は「復旧」したのだろうか。
また「復旧」すれば、それでよいのか。

たしかに見た目には良いかに見える。
ひきこもりの息子がふたたび学校へ行き始めれば、
ご近所の手前もよい。
世間体もよい。
親戚にも顔が立つ。

しかし、それではせっかく息子の「ひきこもり」という形で
ようやく表に出始めた家族の病理が、
また「なかったこと」にされてしまうのである。

息子は、もちろん自覚的にではないだろうけれども、
家族の問題、両親の問題を一手に引き受けて、
それを自らの「ひきこもり」という行動で表に出してくれているのに、
その仕事を無にして「復旧」しまうのは
あまりにもったいない。

それを反省として活かし、
自助グループへ、あるいは精神医療へ、
すなわち家族の「復興」へとつなぐべきなのである。