ついこのあいだまで強迫神経症と呼ばれていた病気、強迫性障害は、
呼び方は変わったが、
昔と比べれば異常な行為とは考えられないようになってきているのではないか。
その代表的な症状である強迫反復は、
べつに強迫性障害の人でなくても、
生活のあちこちで日常的におこなっている、
という認識に変わってきたと思われる。
もちろん、それが本人を苦しめている以上、
精神疾患として治療の対象とすべきだが、
現象そのものを、そんな異常なまなざしで見なくてもよいのではないか、
というように変化してきている。
強迫反復の、
これまた代表的な症状の一つが手洗い強迫である。
これを病んでいる人は、
手に何か目に見えない汚れがついているように思えて仕方なく、
何度も何度も繰り返し手を洗う。
汚れであれば、
石鹸なり洗剤なり、
そういったもので化学的に洗い流せると思っても、
なお不安で、何度も何度も洗うのである。
だから、洗い流そうとしているのは
汚(よご)れよりも穢(けが)れに近いのかもしれない。
ところが今回、
野菜をはじめ多くの第一次産品が
放射性物質で汚染されていることがつぎつぎと報じられている。
土壌からも、牛肉からも、ワラからも、ごみの焼却灰からも……。
相次ぐニュースに、消費者は不安を隠せない。
放射性物質は除染、すなわち水で徹底的に洗えば落ちるという。
しかし「徹底的に」というのは、どの程度のことをいうのか。
放射性物質は、泥とちがって目に見えない。
洗っても、どこまで落ちたかがわからない。
線量計を買ってきて測っても、
線量計にもいろいろな精度の物があり、
どれで測った値を信じるべきなのか、
わからない。
わからない、というのは不安である。
だから、何度も何度も野菜を洗うことになる。
もしかしたら無用に洗っているのかもしれない。
でも、洗わないと不安である。
これは手洗い強迫と同じではないのか。
やはり強迫行為は、一般人の日常生活にあまねく存在するものなのだ。
人間が、死の到来をおそれ、不安というものを持つかぎり。