JUST There(そこが訊きたい)! 斉藤先生(7)
(前回よりつづく)
―― なるほど、理論的に矛盾のない体系にしようと力を入れるあまり、もともと精神医学が目指していたものから外れていってしまう場合が多々あるわけですね。
斉藤先生:うん、学問体系を打ち立てることが先決ではないからね。
いわゆる、この世代で碩学(せきがく)とか、よく勉強していると言われている人の書いた本を読んでも、私はピンとこないことの方が多い。
精神医学というものは、頭で学んで、取りついて、それを克服して身につけるといった性質のものではないでしょう。なんたって、なまなましい「心」を対象としてますから。
いろいろなとらえ方があるので、「これが何々先生のとらえ方だ」と言って、ありがたがって一所懸命に勉強したところで、本当の核心は何も見えてこないことが多くありますよね。やっぱり自分流でやらなくてはしょうがない。
そのためには型どおりの知識をみんな捨てて、目の前のクライエントという、一人のなまの人間に向き合うしかない。それが、私の考え方の基本ですよ。
―― 目の前の患者に、一人の人間としてひたすら向き合う、ってことですね。
斉藤先生:うん、もちろん、患者と向き合ったところで、その人を診断したり、以前に書かれた数々の文献と突き合わせたりといったことは、頭の中でやっているわけですけどね。
たとえば、
「これはちょっとめずらしい形のチックだけど、昔ジルドラトレット症候群といわれたのと似てるな」
と思ったとする、と。そのとき、その思考は、頭に入っている過去の知識の蓄積から出てくるわけですよね。
そのときは当然、蓄えた知識を出すべきですけれども、じっさい一つとして同じジルドラトレット症候群というものはないし、それをそういう症状としてとらえたとしても、「じゃあ、どう治すか」ということに関しては、そいつと会って話をしないことには何も始まらないわけですよ。
(つづく)