コラム

JUST There(そこが訊きたい)! 斉藤先生(9)

(前回よりつづく)

――  なるほど。そういう「まとめる」とか「系統立てる」という領域の仕事を、先生みたいなタイプの研究者、つまり「切り拓(ひら)き方の研究者」は、これまでの歴史のなかでどういうふうにやってきたんでしょうか。
そうですね、……たとえばミルトン・エリクソンなんかはどうしてたんでしょう。

斉藤先生:ミルトン・エリクソン? 彼はまとめてないよね。まとめようがないもんね。
ジェイ・ヘイリーとか、弟子にあたる人たちが「ミルトン・エリクソン曰く」、つまり「子曰(しのたまわ)く」スタイルで書いてるのがあるだけじゃない。ミルトン自身はあまり書いていないし、書いたのを読んでもよくわからない。

――  じゃあ、そういう人の仕事を後世に伝えるには、やっぱり論語の「子曰く」スタイルとか、聖書の「使徒による手紙」スタイルとかにならざるをえないってことですかね?

斉藤先生:うん、そうだろうね。
――  ラカンも、娘婿にあたる方だったか、……ジャック=アラン・ミレールが書いてる解説書が主になっているんでしょうか。

斉藤先生:いや、ラカンはけっこう自分で書いているほうだよ。かなり膨大な量。でも、よくわかんないよね、あれ読んでも。

――  私はさきほど「むしろコ・メディカルに先生の考えていることが受け容れられることが多いのでは」という表現を使ったんですけれども、これはじつははなはだ不十分な言い方なんです。
そもそもコ・メディカルと言ったら、患者が入らなくなっちゃうわけですが、私が言いたかったのは、「患者を含めて医師を取り巻く周りの層」という意味でありまして、医者ご本人よりも、医者を取り巻く層に、斉藤先生がおっしゃっていることが伝わっている割合は高いのでは、というようなことを申し上げたかったのです。

斉藤先生:コ・メディカルっていうと、じっさいには私と仕事した連中っていうのは、かれこれ二十年前、世田谷とか杉並とかで一緒にやってた連中だから、ちょっと遠くなっちゃったな。

ただ、彼らの中には「あれは何だったんだ」とか「あのときはすごかった」という感動として残っているみたいね。このまえ佐賀で学会があって、彼ら世田谷で一緒にやっていた保健師たちに久しぶりで会ったんだけど、「あの十年はすごかった」みたいなことは口々に言う。しかし、「じゃあ、あれは何だったんだ」となると、みんな言葉がない。

 
(つづく)