コラム

JUST There(そこが訊きたい)! 斉藤先生(10)

(前回よりつづく)

――  はあ。……「言葉がない」といいますと、それは一体どういうことなんでしょう。


斉藤先生:「ただ自分たちにすごい力があるということがわかった」みたいな感動なんだろうね。
「保健師なんて、ただルーティーンの仕事をやっていればいい。つまんない仕事だ」と思っていたけど、「そうじゃないんだ」と。「いろいろな可能性を教えてもらえた」みたいなことを言っていた人が多かった。

 

――  その「すごい十年」というのは、先生が山谷廻りをしていたころの話ですか?


斉藤先生:いやいや、世田谷で週一回ミーティングを開いていたときの話だよ。十五年ぐらいかね。そこには山谷に行っている時期も重なってるけど。まあ、研究所勤務の時代ですからね、いろいろなことを同時にやってましたよ。新宿でホームレスに関わったりもしていたし。

――  そのころミーティングという形式自体は、アノニマス・グループ以外は、まだ日本にはあまりなかったんですか?



斉藤先生:いや、そんなことないよ。エンカウンター・グループという形式は、民主主義の中ではもともと当たり前に存在するものでしょう。出会いのグループ。いちいち「エンカウンター」なんて呼んでいないけど。



たとえば、二時間なら二時間という枠の中で、四、五十人のひとを診るとなったら、講演するか、一人数分ずつ与えて順番にしゃべってもらうか、どちらかしかないじゃない。だから、ミーティングという形式は自然に必要から出てきたものですよ。円形で座って、「みんな順番にしゃべって。何か必要があったら、私がコメント入れるから」と言って。自然発生していったわけですよね。



どうしてもそこにアル中が入ると、断酒会とかA・Aみたいになる。むしろ私は、「そういうふうになるな」って言ってましたよ。



発言の初めに「シュガーです」なんてアノニマス・ネームで名乗る人がいると、「ちゃんとフルネームで言え。ここは市民が自分のプライドを賭けて存在する場なんだから、匿名性なんか許さない」って私は言ってました。そうやって、むしろA・Aとの違いを強調しました。

(つづく)