JUST There(そこが訊きたい)! 斉藤先生(11)
(前回よりつづく)
―― そういう十年間を保健師さんたちが振り返って、「自分たちにすごい力があると思った」というのは、結局どういうことなんでしょう?
斉藤先生:それは結局、彼らに川の石を持ちあげて、その下を覗かせるようなことをさせたからですよ。そこらにある、綺麗なせせらぎを見ているだけでは何もわからない。でも、石を持ちあげれば、石の下からヘビは出てくる、アナゴは出てくる、……
―― 川だと、さすがにアナゴは出てこないでしょう(笑)。
斉藤先生:まあ、とにかくどんな化け物が出てくるかわかったものじゃない、と。そうすると、せせらぎの風景が一変するわけですよ。そういう物の見方を教わるということが、彼らにとってはきっと新鮮だったんでしょう。
私が彼らに言いたかったのは、
「いま君たちが見ている世界というものは、そのように綺麗に見せたい者たちが見せている世界にすぎない」
ということですよね。石をひっくり返せば、いくらでも違うものが出てくる、と。
つまり、私のやっていることは、非常にプラトン的な意味での古典哲学なんですよ。だから、それを精神医学の言葉で語り直せって言われても、ちょっと当惑しちゃうんだよね。
―― 先生ご自身は、そういう川の石を持ちあげてみるという見方というのは、それ以前のどなたかに習ったんですか。どういうふうに体得されたんでしょうか。
斉藤先生:どうなんでしょうかね、まったくそういう経験ていうのはないです。少なくとも、それを教えられたということはない。むしろ、そういうことがあまりに行なわれていないので、自分で始めた、みたいなところがありますよ。
―― 教わったものではない、と。
斉藤先生:私はどうもね、教わる人、教わる人みんなに、こちらから幻滅を感じたわけだよ。「ダメじゃない、こんなことやってたんじゃ」みたいな幻滅をね。
たとえば組織標本を採って、いろいろな薬品で染めて顕微鏡で見るとか、微小電流を流してその反応の脳波を調べるとか、今やられている治療法の基礎は、私の若いころにはすでにみんな揃っていたわけですよ。でもどれ一つとして私を満足させなかった。
もう少し、自分の知的関心に刺激を与えてくれるものがほしかったんだけど、なかったんだよ。私はやはり、どうして世の中はこういうふうに動いているのかとか、どうして人々はこういうことに価値を見出すのかとか、そういうことを知りたくて精神医学を始めたんで、顕微鏡をのぞいたり電流を流したりということがやりたかったわけじゃない。
ところが精神医学では、そんなことばっかりやっていて、社会の現象、人間の現象につながることを何も論議していない。精神医学の皆さんは、そういうのは自分の仕事じゃないと思っているみたいだから、「じゃあ、しょうがない、そういうことは自分でやらなくちゃだめだな」ということで始めたわけですよ。
(つづく)