心的外傷 |
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心的外傷(physic trauma ; psychological trauma)は、通常トラウマという言葉で表現されますが、その全貌はとても複雑で、専門家の研究が続いています。 私たち人間は、毎日のようにいろいろな刺激や衝撃、ストレスを受けて暮らしています。 けれども、その多くは無視したり、忘れたりすることで毎日をやりすごしています。その夜は落ち込んだり、荒れたりすることがあっても、一晩経ったら、あるいは三日経ったら、すっかり立ち直っているといったことが多いものです。 ところが、受けた刺激や衝撃、ストレスがある一定の大きさ以上になると、そうは行きません。 その人のその時の脳神経系が持つ通常の処理能力では対応できなくなり、いつまで経っても記憶として残り、その人の行動を左右するようになってしまいます。 このような記憶を外傷記憶(traumatic memory)といい、それを形づくるもとになった出来事を外傷体験(traumatic experience)といいます。 私たちは人間として生きていくのに際し、この世界に一定の秩序と連続性を見出そうとしています。「そんなものは幻想だ」という人もいますが、かりにそうであっても、そういう幻想なしにはとても人は安心して暮らしていけません。今日は昨日のようであった。また、同じような明日が来るだろう。今日、良いこととされていることは明日も良いこととされるにちがいない。…そんな認識を持ちながら、人は毎日を生きているものです。 ところが、たとえば東日本大震災のような災害があると、私たちの認識はたちどころに打ち破られます。私たちは生きていくための大切な基盤である完全感をなくし、それが起こる以前と同じような信頼を世界に対して抱けなくなります。心にざっくりと傷があいたのです。これを心的外傷といいます。 事故や災害だけが人の心に傷をつけるのではありません。他人からの攻撃や暴力も、人の心を破壊する方向に働くでしょう。とくに児童虐待のように、周囲といっしょに体験するのでなく、自分ひとりが、親など特定の他者からの攻撃を受け続ける状況では、心的外傷はさらに深く複雑なものとなっていくことでしょう。皮膚につける傷でも、一回ザクッと切れた傷と、何回もくりかえし切れた傷では、その後の進行が違うでしょう。心でも同じことが起こっているのです。 人はそれぞれ別々の脳神経系を持っていますし、その出来事が起こったときの体調や気分も人それぞれ違いますから、同じ出来事が、ある人にとっては外傷体験となり、別の人にとってはそうならない、ということが起こるのが通例です。 そのため、心的外傷を持っている人が語る外傷体験(例 「親に虐待された」「いじめに遭った」など)を聞いて、心的外傷を持っていない人が「そんなこと、誰にでもあるよ」などと笑い飛ばすのは、相手の人生を否定するのほどのひどい加害行為です。 心的外傷の存在が知られるようになってきたとはいえ、いまの日本社会では、まだそのようなレベルまで心的外傷を理解していない人も多くいるようです。言われた相手がそれによって外傷体験の二次被害を受けても、言った人は責任が取れないこともあるでしょうから、もっと細かい注意が必要でしょう。 外傷記憶は、通常の記憶とちがって、時間が経ってもかんたんに薄れることがありません。その人の頭や心の中に居座り、思い出したくないのに出てきたり、あるいは意識していないレベルで心や行動を支配したりします。 こうしてその人は、その刺激や衝撃、ストレスを受けた時を境に、もうその前には戻れない、ある意味で別の人になってしまっています。 このような変化を「心的外傷を負った」「PTSDを起こした」などと表現します。 外傷体験の種類によって、心的外傷は、 1.身体的外傷 …… 事故、怪我、拷問などによるもの 2.言語的外傷 …… 中傷、罵倒などによるもの 3.性的外傷 …… 性的虐待、レイプなどによるもの 4.その他 …… 災害や戦争、愛する人との別離や死別によるもの に分けられたり、あるいは A: 陽性外傷 …… 例 親による過干渉 B: 陰性外傷 …… 例 親による育児放棄(ネグレクト) に分けられたりします。 心的外傷を負うことによって、解離(かいり / dissociation)や鬱(うつ / depression)をはじめとする多くの症候を呈するようになり、それらはまとめてPTSD(心的外傷後ストレス症候群)と呼ばれます。 詳しくは「PTSD」の項もご参照ください。 |