用語集

アダルトチルドレン

 アダルトチルドレン(adult children)とは、機能不全家族に育ったなどの原因から、しかるべき成長をバランス良くたどることができないまま、成育して社会的に大人として生きている現実に生きづらさをおぼえ、それを言葉にしていくきっかけとして、自分たちの特性を名づけて使い始めた自覚用語です。いいかえれば、自分の生きにくさの由来を理解し、新たな成長の出発点とするために用いられる語です。

ほんらい自分一人を指す場合など単数形はアダルトチャイルド adult child なのですが、どういうわけかこれは日本語として普及していません。アダルトチルドレンもアダルトチャイルドも、「AC(エーシー)」と略されることで、いっしょに表現されているようです。

子どものころ機能不全家族のなかで、ある類型的な役割を担わされて育ち、大人になってからも一定の特徴を持っているため、いろいろな場面で社会的な生活が困難となっている人々のことです。
この言葉を正しく理解するためには、その由来を知らなければなりません。詳しくは「アダルトチルドレンの由来」をごらんください。

日本社会におけるこの言葉の普及は、大きな誤解をともなうものでした。正しく理解されないままに広がり、そして消えていきました。

まず自覚用語という出発点が理解されませんでした。
「わたし(たち)はアダルトチャイルド(-チルドレン)だ」
と、自分たちのために使われる言葉であったのに、
「彼女はACだ」
「あいつらはアダルトチルドレンだ」
などと、ふつうの名詞のように他者に対しても使われてしまいました。

また、アダルトチルドレンと命名されたことによって、あたかもその人が死ぬまで嗜癖問題行動から解放されないのだと、まるで運命の刻印をおされたように誤解され、そういうふうに誤解したACたちが、ACについて正しい知識を学びなおすこともなく、何冊か本も書き、AC概念を日本に紹介した者へ見当違いな批判の矢を向けたものでした。

 
さらに、ACが、自分や自分たちの特性をこうした一言であらわすことに、回復への意欲を示す前向きな意味が込められていたのですが、いつのまにか、あたかも疾病利得のように、自分の被害者性を打ち出す用語として使われるようになってしまいました。
「わたしはACなんだから、こういうことはできなくて当たり前じゃん」
といった使われ方がされてしまったのです。

そのため、この言葉を日本に導入するのに大きな役割を果たした齊藤學はあいそをつかし、自らこの言葉を使うことをやめてしまいました。

そのかわりに、1990年代後半では、アダルトチルドレンがもともと持っていた意味をあらわす言葉として「アダルトサバイバー」が用いられるようになりました。それは、虐待などの被害から生き残った者、つまり犠牲者(victim)に対する生存者(survivor)という語とも一体化していきました。

また、そうした意味でサバイバー同士が手をたずさえ連合しなければならないとの考えから、「トラウマを生き延びたサバイバーたちの連合(Union for Survivors of Trauma)」を作ろうということになり、1998年に私たちJUSTが創設されたのでした。

一般社会では、すでに過去の語彙となったかに見えるこの「AC」「アダルトチルドレン」という言葉ですが、自助グループのミーティングなどでは、いまだによく使われます。
しかも興味深いことに、こんにちの使われ方は、あまり被害者的ではなく、むしろ20年近く前、日本へ紹介されたころに、望まれたような用いられ方をされています。

今後、この語がどのような変遷をたどるのか、興味が抱かれるところです。