心的外傷と嗜癖 |
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「自分に心的外傷があることはわかったけれど、それが自分の嗜癖行動とどういう関係があるの?」という疑問を持たれる方は多いと思います。 人間は身を守るために、外部からの刺激に対して、反応を返すようにできています。またPTSDも一つの反応です。だから、原因が心的外傷であっても、PTSDを症状として出していることじたいは、生物として正常なことだと考えられます。 ところが同時にPTSDという反応は、起こしている当人にとって不快なものですから、なんとかしてこの反応を起こさないように、本人が知らず知らずのうちにあれこれの模索をし、「こうすればごまかすことができる」という手段を学習していきます。 身体が持っている知恵というものは、ものすごいものであって、頭で、つまり大脳新皮質で考えて判断し処理している情報量よりもはるかに、自分の状態を把握し、判断し、処理しているものです。 たとえばある人が「お酒を飲めば、酔っている間だけ、私は過去の記憶から逃げられる」と学習したとしましょう。 飲酒という習慣は、現代社会では一般的に行なわれているものであり、それほど特殊な行為とはみなされません。 しかし、それによって不快な状態から逃れられると学習すると、今度は、とくに不快な記憶から逃れるため、という切実な希求がなくても、覚えた味を味わうという快感を追求するためにお酒を飲むようになり、やがて量が増えると、それなしでは済ませられなくなっていきます。 つまり、嗜癖はその初めの段階において、PTSDの症状を自ら緩和するために「発明」した自己治療的な役割を果たしていたものなのです。 そう考えてくると、嗜癖というものは、個人が最終的に自分の身を守るためにおこなっていることだということになります。ところが、嗜癖行動そのものが個人の健康や生活に有害なので、それを取り除く必要があるため、治療や回復のプロセスが始められるのです。 やがては、その根底にあるPTSDの治療なり、それからの回復が必要になってきます。 |