用語集

フロイト批判

フロイトは、コペルニクスダーウィンマルクスニーチェと同じくらいに、当時の常識をくつがえすことを言い、それまでの人々が考えたことのない領域へ思考を進めました。しかし、それだけに、生前から膨大な批判や排斥が絶えませんでした。ユングアドラーのように、はじめは彼の考えに賛同して集まった人々でさえ、やがてほとんどは離れていき、批判の矢を放つことになりました。

フロイトに対する批判をひもといていくことは、そのままフロイトが言おうとしていたことをもう一度考え直すことでもあります。フロイトへの批判はじつに多方面にわたり、それらをすべて網羅することは不可能に近い作業ですが、主だった流れを挙げてみましょう。
 

   <性的一元論>

フロイトがたどりついた説は、人の精神世界の根底には、すべからく性があるといったものでした。
今もそういう感じ方をする人はいますが、当時「性」は恥ずかしいものでした。ヴィクトリア朝時代のヨーロッパ人にとっては、自分はあたかも「性」になど関心がないかのように、「高尚な」人間として居丈高にふるまうことが、紳士であり淑女の条件でした。

このような時代の中で、フロイトの考え方は一般市民に容れられませんでした。
そこから派生して、知識人ですら、自分たち人間は、野外で交合している動物などとは異なる、「文化的な」生き物と考えていました。だからこそ自分たち知識人の存在価値もあるのだと考えていたわけです。このような人々にとっては、やはり性的一元論は、いちじるしく抵抗があった説でした。

そうした抵抗の根底にある「文化とは何か」がつきつめられるのには、20世紀半ば過ぎまで待たなければなりませんでした。

 

   <実証性のなさ>

フロイトの唱える概念は、無意識にせよ超自我にせよ、ピンセットで取り出して見せたりできないものばかりでした。数値として測定し、誰の目にも異論のないかたちで提示できる性質のものでもありませんでした。

フロイトを支持する人々にとっては、その説の内容は、何も目に見えるかたちで示されなくても「ちょっと考えればわかること」であるわけですが、否定してかかってくる人には、ほとんど納得してもらえる術がありません。

同じ精神医学者でも、たとえばアイゼンクのように、実証的な数値を研究成果の根拠とする人々は、そうした観点からフロイトを批判しました。

またフェミニズムの立場からは、フロイトの唱える去勢コンプレックスは、突出した性器をもたない女性をおとしめるものだとして認めない、というような意見も出されました。

 

   <実効性のなさ>

精神分析という方法は、かかる時間や費用などと比べて、その治癒への効果がうすいことなども指摘されました。
そのため、効率を重視するアメリカでは、もっと手っ取り早く治ってしまうように、いろいろな治療が考えだされました。代表的なものが薬物療法です。

しかし、薬物という、生体にない化学物質を、身体に取り入れることに多くの人が抵抗を示しました。そのため、1970年代以降、ふたたび多くの精神療法(therapy)が考えだされるようになります。多くのセラピーが流行し、すたれるということが繰り返されています。

 
   <治療者-患者の関係>

精神分析においては、分析者が患者の主体に侵入し、それまで患者の心が覆いかくしていた領域に入ろうとします。すると、患者は当然の反応として否認をする段階があります。そのときに、分析者は「それは違うだろう。それは否認だ。その奥にもっと真実が隠されているはずだ」という姿勢を示すことになります。そうやって、さらに分析を進めていくというのが、あらかじめ方法論の中に折りこみ済みです。

しかし考えてみれば、分析者と患者という二人きりになる治療室の中で、それを否認であるという決める権利を持っている人は分析者だけです。それは、治療者の中立性など、分析者が誤りを犯さない条件をクリアしていることが前提です。

その条件をクリアできるかどうかというところに一つの問題があり、また仮にできたとしても、患者の側に「これは否認ではない」と否定する権利がありません。そのため、すべては治療者という人間の主観を絶対に正しいとみなすかたちで判断されていきます。

このような状態を「治療者の独裁」などと呼びます。

それが否認でなく真実であっても、患者は反論の機会を持たないために、患者がそうした事態を無意識に予測して、分析者に「否認」と決めつけられることを避けるがあまり、嘘(それ自体、真実の否認ですが)を述べ、それが真実として分析者に受け容れられるという事態も考えられます。これはつまり、否認が否認されないという逆転現象であるともいえます。
だとすれば、もし分析者に、それに適する能力がなければ、この治療セッションは患者の精神をとんでもない方向へ持って行ってしまうことになり、さらに分析者にその能力があるかないかを、治療者-患者関係のなかで裁断できないことになります。
この状態を「否認のジレンマ」などといいます。

「治療者の独裁」「否認のジレンマ」などを超えて、新しい治療関係が20世紀には新しく模索されました。

私たち自助グループの思想も、源流はここにあると考えられます。