支配 |
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支配(しはい / rule, control)とは、人と人との関係性にあらわれる状態の一つです。 たとえば夫婦や母子など、二人のあいだの関係(二者関係)の場合、片方がもう片方の主体を尊重せず、対等でなく、意のままにあやつっている状態をいいます。 このため、支配されている方は、主体を放棄して客体的となりがちであり、支配している側だけが実質的に二者のあいだの物事を決める権利を持っています。 たとえば独裁者と国民など、1対多のような関係でも、一方が他方の主体を尊重しないであやつるようになると、これは同じく支配の関係にあると言えます。 支配しているほうは、表面的に強い立場にありますから、支配される方の生殺与奪の権を握り、相手を生かすも殺すも支配者しだいのような状況になってきます。 強い立場にある者は、あるべき形としては、弱い立場にある者を保護するべきなのですが、強い立場を悪用して支配が高じると虐待になってきます。 支配しようとする者は、往々にして相手を屈服させることを目標としています。支配者は、相手の生活のあらゆる面を管理し統制しながら、そうしていることを相手が感謝し賞賛してくれることを欲しているものです。つまり、支配する者は相手が「自分の意志で」服従してくれることを望んでいるのです。これが達成されるときは、相手の主体を奪い去り、屈服させたときしかありえないのですが、しばしばそれがわかっていません。 相手を屈服させるために、支配する者は、相手を自分以外の人間関係からできるだけ切り離し、孤立させようとします。「生かしてもらっているのをありがたく思え」と恩を着せる一方で、「自分の支配下から逃げるなら殺すぞ」といった類の脅迫を用います。脅迫しても相手が逃げていきそうな時には、一転して「逃げたら自分が死んでやる」と自虐的な脅迫をくり出したりします。 支配には、必ずしも肉体的な意味での暴力がつきものではありません。たしかに支配する側は、その手段として暴力をよく使いますが、もっと根っこにあるのは主体の蹂躙と剥奪であり、問題の核は精神的な支配にあります。そのため、まったく肉体的暴力を使わないで、脅迫などの精神的暴力だけで支配は成り立ちます。 支配がエスカレートしてくると、暴力を予見できない形で不規則に爆発させたり、意味のないくらい細かな規則を強制するといった方法を併用することで、脅迫がもたらす恐怖感を大きくさせたりします。反対に、支配される側は、主体をなくし、自立性の感覚を失っていき、逃げられるチャンスがあっても自分から逃げないようになります。 一方で、支配される者がこのまま殺されると観念した最後の瞬間には、支配する側は「温情」をかけるかのように相手を救います。なぜならば、相手が死んでしまっては、支配関係が続かないからです。ところがこれで支配される側は、支配する側を自分の命の恩人であるかのように誤って認識してしまい、ずるずるとこの関係を続けていくことになります。 しかし、支配には必ず、ヘーゲルが「主人と奴隷の弁証法」で言っている逆説がつきまとい、ともすれば支配する側と支配されている側は逆転して、お互いに相手を支配するようになるのです。この状態を共依存といいます。 共依存と似ていてまったく違うとされる協働や協力の関係においては、一方が他方を支配することなく、お互いの自主性が尊重され、対等の立場で協議し、関係性をつくりあげています。 |