用語集

クレペリン

エミール・クレペリン(Emil Kraepelin, 1856年2月15日 - 1926年10月7日)はドイツの医学者、精神科医です。1960年代まではほとんど顧みられることのなかった人ですが、近代精神医学の基礎を築いた人として近年はとみに注目され、彼の考え方を受け継ぐネオ・クレペリン学派が形成されています。
1899年、クレペリンは精神病を早発性痴呆躁鬱病に分類しました。早発性痴呆は、のちのスキゾフレニア(schizophrenia)、日本の精神医学用語では精神分裂病と呼ばれた時代を経て、統合失調症に至ります。

一方の躁鬱病は、今日の双極性障害につながっています。クレペリンは、今日でいう双極性障害は回復可能な病気であると考えましたが、双極性(躁と鬱をくりかえす)と単極性(鬱だけをくりかえすなど、どちらか一方)のちがいは、たいして重要ではないと考えました。一つの病気が、どのようにその人にあらわれているかだけの違いであって、病気を退治する方法は同じだと考えたのです。

躁鬱病や双極性障害にあたる疾患に関して、クレペリン以前は、精神医学の世界でも「マニア(mania)」「躁状態」「狂った」など人をさげすんだ響きのある語彙が診断で使われていましたが、クレペリンが躁鬱病という概念を導入してから、これらの語彙は少なくとも医療現場からは払拭されました。

もっとも、人々が日常的に話す言葉の中には、これらの言葉はいまだに残っているようですが、一度、公式的な語彙から抹殺されたために、100年前ほど軽蔑的なニュアンスを含まずに、今日は使われているようです。
1896年以降にヨーロッパで発表された感情障害に関する新しい見解は、すべてクレペリンの学説にもとづいていると考えられ、のちに1950年代に2種類の向精神薬が作られたのは、いわば彼の学説の究極の証明だという人もいます。また、DSM-IIIの疾病分類を作成した当時のアメリカ精神医学会は、彼の流れをくむネオクレペリン学派でした。

クレペリン以降は、ドイツのクルト・シュナイダー、アメリカのアドルフ・マイヤーが二大潮流として出現します。

イミプラミンが出現してから20年ほど経ち、分析的で次元的な考え方をするフロイト派で絞められたアメリカの精神医学は、ドイツ製のOTCによって引き起された危機に直面し、分類的でクレペリンのような考え方による精神医学へと戻っていきました。

20世紀初頭の精神医学界においては、クレペリンフロイトが、以下のような意味において二大潮流であったとも考えられます。



クレペリン派……生物学的還元主義……主要な精神疾患にはすべて生物学的な原因があり、身体的な治療が必要であるため、薬物療法が主軸となる。
フロイト派……心理学力動的な側面を重視……自由連想や精神分析を方法論とする力動的な治療が必要であるため、ナラティブ(語り)を用いる精神療法を主軸となる。






とくに「うつ」の解釈において、この二大潮流は対立しました。どちらの立場を取る治療者も、その治療観においては原理主義的というか一元的な傾向がありました。つまり、「薬で治す」という医者は薬しか用いず、「語りで治す」という医者は薬を避け精神療法ばかり用いない傾向があったのです。
そのため、これらそれぞれの立場に固執する治療観は、精神医学における教条主義(Dogmatism)と呼ばれました。
アメリカにおいては、20世紀前半においてフロイト派が台頭し、1950年代の向精神薬の開発が盛んだった時代を経て、1970年代以降はクレペリン派が復権し、ネオ・クレペリン主義と呼ばれるようになり、精神分析の要素を排除して DSM -Ⅲの出版に至りました。
こうした二つの教条主義の対立は、ある意味ではDSM-5が出版された2013年以降の現在も続いているといってもよいかもしれません。しかし、その二つに視点を限ることなく、他の視点をそこに織り込んでいこうという試みが、その後になされていきました。代表的なものとしては、



折衷主義(Eclecticism)……アドルフ・マイヤー, ジョージ・エンゲルら……生物・心理・社会モデル(Biopsychosocial Model)   すべての病気は複数の要素、生物学的、心理学的、社会学的要素から成り立つという考えに基づく

多元主義(Pluralism)……ポール・マクヒュー,フィリップ・スラヴニーら……折衷主義はあまりに広すぎて臨床的な指針とならないという批判から出発しながらも、教条主義に戻らないように考えられた立場

統合主義(Integrationism)……エリック・カンデルら……環境が脳を形作り、一方で自らの脳を用いて人間が環境を変化させる相互作用に注目し、神経-精神分析学という新たな領域を開拓している




などがあります。
その流れについては、この論文がわかりやすく書かれています。https://www.jspn.or.jp/journal/journal/pdf/2010/02/journal112_02_p171.pdf