用語集

エスキロール

ジャン・エチエンヌ・ドミニク・エスキロール(Jean Étienne Dominique Esquirol/1772‐1840)は、19世紀フランスの精神医学者です。トゥールーズに生まれ,エスキーユの中学校,イッシーのサン・シュルピス神学校に学んだのち、ナルボンヌ,モンペリエなどで勉強し、パリの医学校に入りました。近代精神医学の祖ともいわれるフィリップ・ピネル(Philippe Pinel)の第一の弟子として活躍し、師とともに19世紀前半のフランスにおいて重要な精神医学者となりました。
モノマニー(単一狂 monomanie)の概念や幻覚の定義にその名を残したほか、フランスの精神衛生法である1838年法の成立に関与し、精神病患者の処遇や精神医学教育にも多大な貢献をしました。
1800年以前にも、危険な人物を隔離できるような特別の場所が存在しましたが、19世紀のヨーロッパやアメリカにおいては、民主主義的な思想から、狂人を抑圧的な方針で監禁するのは意図するところではありませんでした。そこで、ウェーカー教徒の社会活動家サミュエル・テューク(Sammuel Tuke)によってヨーク市に最初に設けられた避難所(The Retreat)をはじめとして、福祉的な意味において、今日でいう心の病を持った人々を隔離する場所が作られ、しだいにそれが変遷して、荒れ狂ったり彷徨したりする人を公衆の面前からなんらかの手段で隔離する精神病院がどんどん設立されるようになっていきました。
そんな中でエスキロールは、「精神病院は、有能な医師の手による治療機関であり、精神病に対する私たちの最強な武器である」としるしています。いろいろな変遷を経た末で、心を病む人々をどのように扱えばよいか、また、医学がそこで何をできるか、について熟考されている様子がうかがえます。こうしてエスキロールは、精神病院を拠点としたはじめての精神疾患の臨床分類を何冊かの小冊子で発表し、1838年にはそれが一冊にまとまりました。
その中でエスキロールは、完全な狂気と、モノマニーなど部分的な狂気とを区別しました。「モノマニーの人間は、会話や行動の多くが論理的であり、狂気という用語は当たらない。彼らは、自分が妄想を抱いている事柄以外については、彼らは鮮明で正確な記憶力を持つ。判断力は論理的かつ理性的で、妄想的な事柄についても、健常人が持っている立場を堅固に守ろうとするのと同じ方法で、証拠に基づいて訴える。このような人間は部分的な狂人でしかない」と主張しました。
エスキロールの見解によれば、たとえば意志の障害には「ディスポマニア(渇酒癖)」「クレプトマニア(窃盗癖)」「ピロマニア(放火癖)」「ニンフォマニア(女性の色情症)」「グラフォマニア(濫書癖)」などがあります。「ディスポマニア」は「アルコール依存」「アルコール使用障害」(Alcoholic)などと名称を変えていますが、今日でもその概念は引き継がれているものが多いようです。
しかしエスキロールが提唱したモノマニーの概念では、膨大な数の疾病や疾患を想定しなければならないということや、ひとりの患者においてモノマニーは時を経てたえず変化するので、変化の底辺にある疾患を模索する方がいいのではないか、という考えが出てくるようになり、1850年代にやがてモノマニーの概念は崩壊していくことになります。
その決定的な契機となったのが1853年、ベネディクト・モレルによる早発性痴呆の提唱だとされています。

のちに20世紀に入って、抑鬱に対するフロイト派の概念は、結果的に、人格や体質と疾患との間にたしかな境界線を引かないで考えるために、エスキロール以前の状態に戻っていったと言えるでしょう。