用語集

ピネル

フィリップ・ピネル(Philippe Pinel/1745 - 1826)は、近代精神医学とも呼ばれています。
南仏タルヌ県に生まれ、神学部を出て、医学部に再入学し、パリに出て、もともとは骨格研究と外科施術を専門とする医師になりましたが、1785年、親友が急性の精神系疾患になったのをきっかけに、精神病理学医になっていきます。エスキロールも、ピネルの弟子のひとりです。

中世において、精神医学はキリスト教社会の縛りがあったヨーロッパよりもむしろアラブ世界のほうが「科学的」に進んでいました。精神障碍者というと悪魔つきと考えられ、恐れられ、中傷され、鎖につないで拘束していました。
しかしピネルは、啓蒙思想や百科全書派の影響を受け、西洋世界で精神医学の専門職を創始した人だといえます。人道主義者であり科学者でもあったピネルは、心の病を内科の病気と同じく安全に自然の原因から生じたものだとして、患者のかかえる問題を研究する際は、けっして患者として見下すのではなく、しかるべき尊厳を備えた人間として扱うようにし、彼らを拘束していた鎖から解き放ちました。彼が関心を持ったのは、患者各自の希望、恐怖、動機、人生で味わった苦難が病気とどう関係しているかだったからです。そして弟子たちと協力して、現代でいう認知療法心理セラピーを提供していきました。

ただし、近年の研究では、いわゆる「精神病患者を鎖から解き放った」のは、ピネル自身の発案というより、ピネルの患者であったジャン=バティスト・ピュサンだったともいわれています。ピセトール精神病院の元患者であり、後に同院の監護人となったジャン=バティスト・ピュサンは、ピネルの秘書、助言役、教師役でもありました。
ピネルは、ナポレオンに侍医として遠征に加わるように要請されますが、彼は患者のもとに留まることを選びました。18世紀という激動の時代に医師として生き、その経験を筆記した著書は大きな社会科学的意義もあり、彼が診察した精神疾患患者の臨床記録は、フランス革命期の庶民の生活や精神構造が克明に記録されており、史料的価値も高いです。