「被害者に立ち回る」
という言葉があります。
どうひいき目に見ても、
人としてけっして褒められた態度ではないでしょう。
「人として生きていれば、
みんな、一つや二つ、……いや、それ以上、
本当につらい体験をしているものだ。
それを、まるで自分だけがつらい体験をしてきたかのように語り、
『被害者に立ち回る』なんて、
とんでもないことだ。
人の風上にもおけないやつだ」
という声が、背後についてまわるような行為であることでしょう。
よく、誤解を受けるのですが、
「自らの被害体験を語る」ということと
「被害者に立ち回る」ということは
イコールではありません。
それどころか、
「自らの被害体験を語る」ということは、
それだけ自分の体験を客観視することや、社会化することにつながる行為であり、
ほかでもなく
自分だけが「被害者に立ち回る」ことのないように、おこなう行為なのです。
「被害者に立ち回る」ことがないようになっていくプロセスを、
回復と言う人も、治癒という人も、
きっと、いらっしゃることでしょう。
そんなわけで、このプロジェクト「VOSOT」では、
サバイバー自身の語りを発信していきます。
私たちは、社会的に語ることに慣れた
評論家でも運動家でもありません。
ただのサバイバーです。
だから、ときには不器用に、ときには無骨に、
ぼそ、ぼそっと
語るのです。
私たちが発信するのは、
演説でも時代批評でもありません。
ただの「語り」です。
だから、
ぼそ、ぼそっと
しているのです。
それだけに、
時に要領を得なかったり、
あちこち矛盾の森をさまよったりすることでしょう。
しかし、そのような中で
私たちのつたない、ぼそ、ぼそっとした「語り」が
どのように変化しているかに
気づいてくださる方がいれば、
私たちにとってそれは
とってもうれしいことなのです。